ありあまる国のヒト

 ピョンピョンピョンピョン
 コミカルな音が外からきこえる。
 コンコンコンコン
 何か叩く音がきこえる。
 カチャッ
 真っ暗な視界がいきなり真っ白になる。
 チクタクチクタク
 時計をもった、耳の長いベジタリアンがこちらを見ている。

 赤い目が綺麗だ、と思ったのもつかの間
 私の手を引っ張って、身体を引きずり出された。

 「お茶会がはじまってしまう」
 時計を振り回してベジタリアンは言う。
 私はあの不思議の国の主人公にでもなったのかな、と確かめる隙も与えられず
 さっきより強く手を引っ張られ、壁に投げつけられる。

 悪趣味なトランプ模様のテーブルカバー、
 チカチカ動く水玉模様のティーセット、
 着色料たっぷりな毒毒しい色のケーキ。

 私がさっきいたところは、ジメジメした灰色の地下室で、シーンとした真っ暗な棺おけの中だったのに。

 趣味悪い帽子をかぶった名も無き男、
 長い耳がいつの間にか毒まみれのベジタリアン、
 引きこもってばかりの眠れるパリジェンヌ。

 眠っている間、わたしの周りには誰もいなかったのに。

 「間に合った。間に合っていない。」
 「丁度お茶会が開かれる。すでにお茶会は開かれている。」
 「もう棺おけに入っていた。やっと棺おけに入っていた。」
 目の前にいるお茶会の客はそう騒ぐ。

 白い服を着た、青白い肌で無口な私。
 とてもこの場には似合わない。恥ずかしい。
 立ち去ろうとすると、ベジタリアンは私を椅子に座らせ、
 名も無き男は紅茶を差出し、
 パリジェンヌはとろける目で私を見つめる。

 「毎日働いて疲れたとのことで、お茶会は休養しているから、今日は誕生パーティーに来てもらった」
 そうしゃべる男の口の中に歯はなかった。
 よくみると、ベジタリアンにもパリジェンヌにも、飛び出ているはずの前歯が出ていない。
 「飲んでごらん。君の嫌いなその尖った前歯が溶けていくよ。」
 カップの中は銀色に光っている。

 かつて憧れた童話の世界。
 童話は童話よと姉さんは言っていた。
 その言葉から自分を守るように、いつも童話を持ち歩いていた。
 姉さんが読み聞かせてくれなくなっても、
 周りの女の子がおもちゃを手放し、大人ぶっても。

 だけどいつまでたっても、大好きな笑う猫にあえなくて
 隣町にある森まで探しに行って、私は道に迷った。
 帰り道がわからなくて泣き喚いていたら、姉さんと妹があきれた顔して迎えに来てくれた。
 私はその2人にはさまれて、2人の手をとって、一緒に家に帰った。

 確か、その時から童話を持ち歩かなくなった。
 それどころか、私はあの不思議な世界のことを忘れようと必死にもがいていた。
 女性独特のゆるやかな曲線美をもつ足や、真っ赤な口紅は男性を誘っているようで嫌悪していたのに、そういった人たちばかりが写っている雑誌を読み漁った。
 とっくに大人になりかけている周りの子達に、溶け込みたかった。

 白いウサギにどこかへ連れ去ってほしかった、
 帽子屋とお茶を飲んで酔ったように騒ぎたかった、
 眠りネズミと一緒に夢をみたかった、
 道に迷ったら笑う猫に迎えにきてほしかった、
 そんな事ばかり考えていたのに。

 目の前の極彩色が私の目を突き刺してきて、涙がとまらない。
 辺りに充満している水銀の蒸気で、頭がくらくらする。
 「カップに口を付ける前に、香りを味わってごらん。胸がいっぱいになったら、君の誕生日パーティーがはじまるよ。」
 手渡されたカップをみつめる。身体が震えてしまって今にも水銀が零れそうだ。気持ち悪い、怖い。
 でも何より気持ち悪くて怖いのは誕生日パーティーが開かれるという言葉。

 3月、今にも崩壊しそうな廃墟へいって、誕生日から自分を切り離した。
 その1ヵ月後、私は4月病で死んだ。
 自殺といえば自殺だし、病死といえば病死で、老衰といえば老衰だった。
 あの童話が夢になったのなら、姉さんたちがいる世界にいたくなかった。
 私の世話をする必要はもうない。
 私と喧嘩することももうない。
 私という足枷は外れた。
 そうやって、棺おけの中で安心していたのに。

 「君の誕生日は3月だっていうことは知っているよ。今はもう5月だっていうことだって、棺おけの中にいたという事だって。だけど、君はまだ死んでいないんだ。だから土の中ではなく、地下室にいたんだよ。」
 この男は恐らく帽子屋なんだろう。仮にそうじゃないとしても、水銀中毒でまともじゃない発言をしている時点で帽子屋同然だ。
 だからこんな男のいう事を真に受けてはいけない。私はもう死んだんだ。幽霊になっているとしても死体のように棺おけに閉じこもるつもり。
 とは言っても、この調子だとあの地下室に帰ることができない。男は私の隣にくっついていて、ベジタリアンは時計と私を交互にみて「時間がない」と焦っているし、パリジェンヌは寝不足で不機嫌な顔をしていた。

 頭がくらくらして酸素が足りない。地下室に戻りたい。
 涙がとまらなくて水分が足りない。喉が渇く。
 1度死んだのなら2度死ぬのも同じ。
 早くこの場から逃げたくて、水銀を吸い込む。飲み込んで水分を取り戻す。
 意識を手放す。

 「お誕生日おめでとう!!」
 眼が覚めると、先ほどの光景がにぎやかに私を祝っている。
 もう涙も出ないし、頭もくらくらしない。
 なんだかとても気分がいい。
 「君は何者でもなくなった。だから何にだってなれる。どこにだって行けるんだ。
 好きなところへ行っていい。
 3月と5月になったらまたここへおいで。君の誕生日パーティーを開こう。
 桜が散ってしまうのが怖くなったら、4月にお葬式を開いてあげる。
 だから安心して好きなところへ行っておいで。」

 手に持ったままのカップの存在に気がつく。
 もう少し、水分が欲しい。
 もう少し、この生まれ変わったような気分でいたい。
 「その前にこのカップの中、全部飲んでもいい?」
 ベジタリアンは私のカップを取り上げた。
 「カップの底にある1滴は、格別に美味しいんだ。これは来年まで、君へのプレゼントとして取っておくよ。」
 極彩色の景色はとても刺激的。
 水銀で身体がふわふわする。
 それがとても心地よくて、機嫌よく笑った。皆で。

 帰り際。
 ベジタリアンからはジャムだらけの時計をもらった。
 パリジェンヌからは夢をもらった。
 男からは、派手な帽子と、言葉をもらった。

 「覚えておいて欲しい。このベジタリアンはね、5月のベジタリアンなんだ。
 だからこのお茶会には、3月生まれの君が必要なんだよ。
 この世界は、全てナンセンスで、全てまともじゃないからね!」

 次に来るときは、トイレットペーパーとピンを持っていって、プレゼントしよう。
 それをあの男の頭につけたら、すごく似合うはず。
 頭に何も被っていなくても、きっとあの男は帽子屋らしくお茶会を開くんだろうけれど。

 コサージュで重い帽子をかぶる。
 べたべたな時計を握り締める。
 パリジェンヌがみせてくれた夢を思い出す。
 猫がにっこり笑って、私の行く道を案内してくれる。

 かつては無垢な少女に憧れたレースのテーブルカバー、
 かつては宝石に憧れたビジューのついたティーセット、

 かつては夢を持った、名も無き3月生まれのヒト。

「三月ウサギの方がずっと面白そうだし、それに今は五月だから、むちゃくちゃに気が狂ってる、ってことはないよね――少なくとも、三月の時ほどじゃあない」


 かつて憧れた少女の言葉を思い出す。桜の散る木の下で。

引用-不思議の国のアリス