キコウキコウビョウミョウ!

 自分の名前が分からない。
だから私に話しかけてくれる人がいない。

 ねえ、キャンディーあげるからさ、名前、呼んでくれないかな。
 大きな大きな虹色のペロペロキャンディー、子供の憧れだよね?
 ……え、あぁ……うん、確かに、舐めても別に美味しくないよ。
 一度封をあけたら、最後まで舐めきらないといけないし。
 こんなに大きかったら、半分もいかないうちに蟻がたかって……あれ、ねえ、どこに行くの?

 走り去っていった男の子は、小さい頃、近所にいたユカちゃんの隣にいた男の子に似ていた。

 ユカちゃんは病弱でいつも部屋に閉じこもっていた。
 だけど隣にはいつも誰かがいた。
 ベッドの中で独りで眠っていても、眼が覚めたら声を掛けてくれる人がいるのに
 ユカちゃんはいつも泣いていて、カッターと赤いタオルが親友のようだった。
 ユカちゃんの隣にいた男の子は、ユカちゃんの血を浴びても「ユカちゃん、ユカちゃん」って何度も名前を呼んでいた。

 私はその光景を傍観していた。
 私はその光景を曖昧にしか覚えていない。

 ユカちゃんが視界に入ると、途端に見えているもの全てがぼやけていく。
 それだけでも怖いのに、普段見慣れない赤い色が私を襲ってきて、頭を伏せて目を閉じても目の前は真っ赤なままで、それがとても恐ろしくて。
 あれから6年たった今も、ユカちゃんの事を、あの光景を忘れられないでいる。

 カッターを取り出す。
 手首を切る。
 ねえ、ユカちゃん。これで私も、ユカちゃんになれるかな。

 血まみれのまま病院まで歩いていく。
 きっと誰かが手を差し伸べてくれる。
 もしかしたら話しかけてくれるかもしれない。
 ……そんな期待をしていたのに、誰とも通り過ぎないまま、病院についた。
 運が悪かったんだ。そうに違いない。
 先生に会ったら、きっと名前を呼んでくれるよ。大丈夫だよ。
 廊下を血だらけにして、診察室に入る。先生とお話をする。

 先生は私をユカちゃんと呼ばなかった。私の名前は分からないまま。
 だけど私に名前を付けてくれた。お陰でたくさんのことを話せた。スッキリ。
 真っ赤な不純物もいっぱい垂れ流した、スッキリ!
 ほら、新しく名前がついたんだよ! 私もう寂しくないの!
 だから、ね、何かお話しよう!

 その日の夜、ベッドに入ったら、ユカちゃんが添い寝をしてきた。
 ユカちゃんは6年前と変わらないままで、相変わらずカッターと赤いタオルと一緒にいた。
 「ねえ、私も一緒だよ。もう寂しくないの。」私は包帯が巻かれた左手首をみせる。
 ユカちゃんは笑った。

  視界がぼやける。

 あ、
 あ、あ、

  「そっか。」6年前と変わらない、優しい声。

 あ、あ、あ、

  視界が真っ赤に染まる。

 あ、あ、あ、
 あの時と同じ、だ、また赤くなっちゃう、
 切ってない、のに、切ってないのにねえどうして、
 ユカちゃんがい、ると、いつもこう、なるのねえユ、カちゃん
 どうしてここ、に来たの、ねえねえね、えねえねえねえねえねえねえねえ!!!!!!!

 ユカちゃんはいつも綺麗な血を流していた。
 ずっと見つめていたかったのに、視界がぼやけてしまって。
 ユカちゃんはいつも綺麗な声で話していた。
 ずっと聞いていたかったのに、血の海に飲み込まれてしまって。

 いつも、いつもそうだった。

 それから数ヶ月。
 寂しくなったら手首を切ります。
 そしたら先生は私とお話しをしてくれます。
 血がかかってしまった人は、私に声を掛けてくれます。
 食事は薬だけで済むようになりました。

 もう、寂しくないです。
 私には名前がありますから。

 ね、ユカちゃん。